【Column】「芸能」という言葉に感じること──ポピュラー文化とゴシップのあいだで

「芸能」という言葉には、昭和の匂いがします。古い慣習、ゴシップ中心のメディア、曖昧にされてきた専門性──この言葉が抱え込んできた問題を、改めて考えてみます。
松谷創一郎 2026.05.27
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 私はこれまで「芸能」に関係する仕事を多くしてきました。映画やドラマ、音楽の作品や業界、産業などについて、そして俳優やミュージシャンなどへのインタビュー、さらに近年はジャニーズ問題や中居正広氏の問題等々──。

 いわゆるこれらは「芸能界」や「芸能」についてです。しかし、私自身はこの「芸能」という言葉が、あまり好きではありません。なぜなら、そこに昭和の匂いを感じるからです。この語がまとっている歴史的文脈や、そこから派生する慣習、そしてメディアとの関係性を考えると、どうしてもそこに「ビフォー感」を受けます。一言で表せば、ウェットな印象を受けるのです。

専門性を曖昧にする言葉

 「芸能」という言葉には、端的に「古い」というニュアンスを感じます。「芸能界」という言葉にも、ドメスティックなニュアンスが強い。これらの言葉には昭和の雰囲気、昭和の匂いが染みついていて、伝統芸能を含む古い慣習や、かつては公然と語られていた反社会的勢力との関係など、市民社会とは距離のある世界のイメージが重なります。

 それもあって、私は基本的に「ポピュラー文化」や「エンタテイメント」という表現を使い、個別の領域については「映画界」「音楽界」「テレビ業界」と区別しています。意識的に「芸能」という言葉は使いませんが、それは単に言葉のこだわりだけでなく、この言葉によって成立している日本の「芸能界」への違和感から来ています。

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