【増補】〈オタク〉問題の四半世紀──〈オタク〉はどのように〈問題視〉されてきたのか

(初出:羽渕一代編『どこか〈問題化〉される若者たち』恒星社厚生閣/2008年/一部加筆修正)
松谷創一郎 2026.07.22
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はじめに

 SNSでは繰り返し議論となる題材がある。そのひとつが〈オタク〉だ。多くのひとびとがみずからの経験をもとに、〈オタク〉の定義を議論する。しかし、そうしたときに専門的な研究が参照されることはあまりない。

 そこで〈オタク〉の歴史を「社会問題化」の切り口で論じた拙文を公開する。本稿は2008年に専門書(絶版)で発表したもので、当時としては日本で数少ない〈オタク〉の通史としてたびたび取り上げられてきた。『Yahoo!ニュース・エキスパート』で12回にわたって連載してきたが、それと同内容のものである。

 最後には、初出から18年後における補論(6000字強)を加筆している。

***

●目次

はじめに

『紅⽩』に「アキバ枠」が設けられた⽇

  • ⼀般化した〈オタク〉⽂化

  • 〈オタク〉はいかにして問題化されたか

1983年、〈オタク〉の誕⽣

  • 中森明夫による〈オタク〉命名

「ハカセ」が「ネクラ」になるまでの20年

  • 命名以前の〈オタク〉像

  • 「ハカセ」から「ガリ勉」へ

〈オタク〉による〈オタク〉差別

〈オタク〉病理論はいかに準備されたか

  • 病理化される〈オタク〉の起源

  • 病理化を⽀えた虚実論の系譜

1989年、〈オタク〉が「現代の病理」になった夏

  • 〈オタク〉バッシングの始まり

  • 病理化を担った精神科医たち

「スペシャリスト」と「キモオタ」が並⽴した時代

  • 称揚へと転じた〈オタク〉⾔説

  • ネガティブ像を演じた宅⼋郎

オウム真理教事件はなぜ〈オタク問題〉にならなかったか

  • アニメを参照した終末思想

  • 深刻さが〈オタク問題〉を超える

『新世紀エヴァンゲリオン』で描かれた〈オタク〉の思春期

  • エヴァが刺激した〈オタク〉の⾃意識

  • 岡⽥⽃司夫による〈オタク〉再定義

10「ひきこもり」「⾮モテ」「腐⼥⼦」などに分化した〈オタク〉要素

  • ひきこもりと⾮モテへの問題の移⾏

  • 恋愛と〈オタク〉の⾃⼰表現

11拡がらなくなった〈オタク〉バッシング

  • 再び事件と結びつけられた〈オタク〉

  • 当事者の反論が⽣んだ逆説

12カジュアル化した〈オタク問題〉の⾏⽅

  • 〈オタク問題〉はどう変わったか

  • 〈オタク〉論壇の象徴闘争

【増補】〈オタク〉問題の終焉 ── 初出から18年後に

  • 消えた境界線、復活した「ネクラ/ネアカ」

  • 「萌え」から「推し」へ──批評性を⽋いた⾔葉

  • アルゴリズムが加速させた象徴闘争

  • 政治と接続した〈オタク〉

  • 「海外評価による自国肯定」とデータの現実

  • 分化した要素のゆくえ──腐女子、インセル、アバター

  • 拡散する〈オタク〉、高齢化する自意識

  • ⼈格類型ゲームの回帰

  • 大きな中心としてのコミケ

***

1:『紅白』に「アキバ枠」が設けられた日

一般化した〈オタク〉文化

 2007年の大晦日、『NHK 紅白歌合戦』に「アキバ枠」が設けられた。〈オタク〉文化のシンボル的な場所である東京・秋葉原にちなんだものだ。

 この枠で紅組代表として出場したのはAKB48、リア・ディゾン、中川翔子の3組の女性アーティストだ。大人数のアイドルグループであるAKB48は、ドン・キホーテ秋葉原店にある「AKB48劇場」で毎日公演を行ない、アメリカ人のリア・ディゾンは個人ホームページに載せていた写真がネットで話題となって日本でデビューした。「しょこたん」の愛称で親しまれる中川翔子は、アニメやマンガ、TVゲームなど〈オタク〉文化の造詣が深く、頻繁に更新するブログで趣味のことを熱心に綴り、アニメソングのカバーアルバムを2枚発表している。

 『紅白』をも動かした〈オタク〉文化の拡がりは、1990年代後半から顕著な現象が見られ始めた。例えば、1995年にスタートしたTVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』は若年層から中年まで幅広い支持を受け、12年後の2007年にリメイクされた映画版が公開されるほど人気が継続している。電気街として知られていた東京・秋葉原は、1990年代後半に「萌え」(註1)の街に変わり(森川 2001)、東池袋には2000年代前半に女性〈オタク〉向けの本屋やショップが並ぶ「乙女ロード」が生まれた。

秋葉原の街並み(フリーフォト)。

秋葉原の街並み(フリーフォト)。

 夏と春、年に2回開催される同人誌即売会・コミックマーケットは、50万人以上の入場者を集める巨大イベントとなった。出展商品は同人誌だけでなくフィギュアやDVDなど多岐にわたり、マンガやアニメのキャラクターの衣装を着るコスプレイヤーたちが数多く集う〈オタク〉の祭典ともいえる空間となっている。2002年には、当時の小泉純一郎首相が「知的財産立国宣言」をし、政府もアニメやマンガ、TVゲームなど、サブカルチャーを強力な輸出産業として重視してきた。

 こうした盛り上がりは、日本にとどまるものではない。テレビ愛知が主催し、外務省や国土交通省が後援する「世界コスプレサミット」は、2004年から始まった。このイベントには、海外の国々からコスプレイヤーが招かれ交流が図られている。海外では、1980年代から日本のアニメやゲームが子どもたちの間に浸透し、1990年代後半からはアニメの主題歌によく使われたヴィジュアル系バンドの人気にも火がついた。2004年には、イタリアのヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展に、森川嘉一郎が〈オタク〉をテーマにした出展をした(国際交流基金 2004)。

 このような動きを受け、全国にアパレルビルを展開する丸井は、2007年12月に日本のサブカルチャーに興味をもつ外国人向けにウェブサイト「MARUIONE.JP」(註2)をオープンした。外国人観光客向けの東京ガイドブック『TOKYO ENCOUNTER』でも、コスプレイヤーたちが集う原宿・神宮橋を、両国国技館の次に紹介するほどである(Yanagihara 2007)。

"TOKYO ENCOUNTER" Wendy Yanagihara, 2007,Lonely Planet Publications

"TOKYO ENCOUNTER" Wendy Yanagihara, 2007,Lonely Planet Publications

〈オタク〉はいかにして問題化されたか

 このように、〈オタク〉文化はいまとても一般化している。しかし、〈オタク〉という言葉は、当初ネガティブな意味を多分に包含して浸透していた。その契機となったのは、1989年に犯人が捕まった連続幼女誘拐殺人事件(以下、宮崎勤事件)である。東京と埼玉で4歳から7歳までの4人の幼女が誘拐されて殺されたこの事件は、犯人の宮崎勤が〈オタク〉として注目され(註3)、一般にもこの言葉が広がることとなった。

 本論が注目するのは、このように問題視されてきた〈オタク〉イメージが、変化していった過程である。このとき、ある言説をめぐって対立者の間でどのような交渉(覇権争い)があったのか。また、〈オタク〉という言表(註4)が指示する意味内容(定義)は、どのように読み変えられていったのか──ということである。

 ここで扱う言説は、筆者が可能なかぎり収集した〈オタク〉に言及した新聞記事や雑誌記事などである。そのスパンは四半世紀ほどの期間に及ぶ。本論は、〈オタク〉という言葉が生まれ、浸透していったこの変遷を言説分析により読み解いていく。

 言説分析とは、社会構築主義における代表的な方法論である。構築主義とは、社会現象や「事実」と呼ばれるものが、さまざまなひとのいい方、話し方によってはじめて構築されると捉える考え方だ。この構築主義のオリジンには、レイベリング理論の延長線上にある社会問題の社会学がある。スペクターとキツセは、「社会問題」がそもそも存在するのではなく、誰かがそれを「社会問題」とし、それが一般に拡がることで構築されると論じた(Spector and Kitsuse 1976=1990)。そこで肝要なのは、その過程でさまざまな人々の言説が相互的に作用し合って「社会問題」が現象するとする点である。本論もそれに倣い、紙幅が許すかぎりの言説とその相互作用を分析していく。

  • 註釈

  • 1:「萌え」の定義は論者によって様々だが、マンガやアニメ、ゲームなどのキャラに対する愛情や性的興味を指す言葉であることは共通している。

  • 2:http://maruione.jp/(現在は閉鎖)

  • 3:本論では、引用部を除き表記を〈オタク〉で統一している。これには、ふたつの理由がある。ひとつが、ひらがなのおたくやカタカナのオタクという表記よりも、読みやすいからだ。もうひとつは、〈オタク〉と呼ばれる事象、もしくは人物が、常にすでに存在していたことの判断を留保する意味がある。これは、〈オタク〉が文化的・社会的な所産であり、その存在性や実態性を自明的に説明しないことも含意している。

  • 4:フーコーは歴史研究における言説分析を行なう際、その最小単位に「言表(エノンセ)」を置く。「言説(ディスクール)」とは、行為によって実際に語られた言表が、ある全体的なまとまりをもったものである(Foucault 1969=1981)。

***

2:1983年、〈オタク〉の誕生

中森明夫による〈オタク〉命名

 〈オタク〉という言葉がメディア上で初めて使われたのは、1983年だとされている(註5)。マイナーなロリコン系マンガ誌『漫画ブリッコ』誌上で、ライターの中森明夫が3回にわたって自身の連載コラムで〈オタク〉に言及した。このコラムは、〈オタク〉の存在を読者に紹介するのと同時に、痛烈に問題視する内容であった。

 そこで〈オタク〉の例として出されているのは、コミックマーケットに集まる少年少女たちを筆頭に、アニメ、鉄道、SF、パソコン、アイドル、オーディオなどのマニアであった。中森は、互いを「おたくは~」と呼び合う(註6)彼らを「世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達」と評した(中森 1983a, b, c)。

中森明夫「おたくの研究(1)街には『おたく』がいっぱい」『漫画ブリッコ』1983年6月号、pp.200-201

中森明夫「おたくの研究(1)街には『おたく』がいっぱい」『漫画ブリッコ』1983年6月号、pp.200-201

 このとき、中森が〈オタク〉を問題視した点は、以下の4点にまとめられる。

  • ①マニア性:何らかの対象への熱中と偏愛

  • ②内向性:性的コミュニケーションからの退行

  • ③共同性志向:内弁慶な仲間意識

  • ④外見的特徴:ファッション性の低さや身体的特徴

 マニア性とは、特別この時代から注目されていたわけではない。だが、中森の言説で強調されているのは、〈オタク〉がマンガやアニメ、アイドルなどのサブカルチャーを嗜好する点だ。それらは決して文学や絵画など、権威性のある芸術や文化ではない。

 内向性とは、内気な性格を指すが、なかでも異性とのコミュニケーションがより注目されている。例えば中森は、〈オタク〉に「女なんか出来るわけないよな」と述べるなど、たびたび異性との性的コミュニケーションや恋愛から退行した存在だとして捉えている。

 共同性志向とは、「仲間意識」と置き換えても差し支えない。例えば、「普段メチャ暗いぶんだけ、(コミケでは──引用者註)ここぞとばかりに大ハシャギ」と記述されている。共通の趣味をもつ仲間内では騒げるが、内弁慶で学校などでは内気だということである。

 外見的特徴とは、いわゆる「ダサさ」のことだ。例えば、「髪型は七三の長髪でボサボサか、キョーフの刈り上げ坊っちゃん刈り」などと、中森はかなり手厳しく容姿を描写する。

 このコラムに対し、同誌1983年9月号では読者から「不快であるというだけで、我々は社会から排斥されなければならないのでしょうか」と反論が寄せられる。当時の同誌編集長で、後の宮崎勤事件の際に徹底して〈オタク〉擁護の立場を貫く大塚英志も、翌1984年6月号の読者投稿欄で異論を提出する。大塚は「いわゆる一連の〈おたく批判〉は、彼らに対する根拠のない侮蔑」で、「世の中には様々な価値があり、ひとつの価値を絶対としその立場から他を否定することは許されない」と、論陣を張った(大塚 1984)。そして、中森の連載は大塚によって打ち切られることになる。

 だが、「意外だったのは中森氏の文章に読者を含めて、相当の支持者がいた」と大塚も表明するように、反論だけでなく読者から賛同もみられた(大塚 同前)。翌7月号の読者欄では、神奈川の女性読者による「私だって実際〝おたく〟と形容されるような人って─きらいです。本屋とかに行くとコミック売場に陣取って、ぜったい場所をゆずってくれないし」との意見がみられる。

  • 註釈

  • 5:中森が紹介する以前に、〈オタク〉についてのコラムが見られたという証言や、自分が名付けたとするマンガ家の証言もあるという(小暮 1989)

  • 6:コミックマーケットやSF大会などのイベントで、初対面の相手と話をする際(ときには相手の名を知らない場合もある)、相手を呼ぶ適当な呼称として「おたく」を使わざるを得なかったという説が根強い(浅羽 1989、大塚 1990、岡田 1996aなど)。

***

3:「ハカセ」が「ネクラ」になるまでの20年

命名以前の〈オタク〉像

 中森明夫が『漫画ブリッコ』1983年6月号誌上で使う以前に〈オタク〉の言表は確認できないものの、中森に共通する視点は他所でも見受けられた。

 例えば1980年に、「本当は性格が暗い」ことを意味する「ネクラ(根暗)」という言葉が、「根っから明るい」ことを意味する「ネアカ(根明)」の対照として流行した。そこでは、〈オタク〉のようなマニア的な属性は問われていないものの、性格(人格)的特徴が強く注目されていた。

 1980年に発表された大友克洋のマンガ『童夢』では、受験勉強そっちのけでプラモデル作りに熱中する三浪中の浪人生が描かれている(大友 1980)。彼は、母親が持ってきた夜食に目を向けず、住んでいる団地でも近隣の住人と挨拶をせずに陰口を叩かれている。

 1986年に発表された細野不二彦のマンガ『あどりぶシネ倶楽部』では、大学のアニメ研究会に所属し、部屋にプラモデルを飾り、CMを抜いてアニメをビデオ録画する男子学生が描かれる(細野 1986)。彼は、同じサークルのメンバーに、「女の子からはカンペキに白い目ですわ!」とひどく蔑視されている。それは、中森に通ずる視線だといえるだろう。

 こういった個々人の人格や特性、趣味志向性などへのネガティブな注目は、若者たちのコミュニケーションにおいて前景化したものである。

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