【Column】壊れそうな高校野球──広尾晃『高野連』を読む
この30年ほどの日本社会を見ていると、古い組織やシステムが時代の変化に対応できず、制度疲労を起こして破綻するケースがいくつも見て取れます。社会や時代の変化があるなかで、それまでの組織やシステムを維持しようとし、最終的に大きな問題を起こして壊れてしまう。その一方で、同じような状態にありながら延命している組織もあります。
制度疲労を起こしている組織で近年目立っているのは、文化と結びついた組織でした。直近ではジャニーズ事務所の解体やフジテレビの大打撃がそうです。この両者は、単純な経済合理性では割り切れない感情的なもの──まさに〝文化〟によって支えられてきました。
そうしたもののなかで、私がずっと問題視してきたもののいまも延命している文化があります。それが高校野球です。
野球は好きだが高校野球は好きではない
「ずっと」と言っても、そんなに頻繁に書いてきたわけではありません。ただ、2014年に書いた「『残酷ショー』としての高校野球」は、当時だけでなくいまも多く読まれています。以下の記事がそれです。
そもそも私自身は野球が好きです。子どもの頃はやっていたし、いまもカープの試合を毎日のように観ています。ただ、高校野球は好きではありません。
さて、少し前にスポーツライターの広尾晃さんから、『高野連』(新潮新書)という本をお送りいただきました。広尾さんは1959年生まれの今年67歳で、私よりだいぶ年上の方です。上記の2014年の記事が広尾さんの編んだアンソロジーに収録されたことがあり、昨年の11月か12月頃、WBC関連のNetflixの合同取材で初めてお会いしました。
ブレーキとアクセルが同居する組織
『高野連』は、タイトルそのままで高校野球を主催する日本高等学校野球連盟について書かれた本です。その成立の経緯、歴史の流れ、そして現在どういう状態にあるのかが、網羅的に書かれています。最近では飛ばない金属バットへの切り替え、球数制限、暑さ対策、DHの導入、そしていま議論されている7回制まで、ひとつひとつの施策がその歴史とともに記述されていて、私自身とても勉強になりました。
読んでいて見えてくるのは、高野連のなかにも守旧派と改革派がいて、ブレーキとアクセルが同居しているということです。本のなかでそういう言い方はされていませんが、7回制の議論を進める一方で、各地域で行われているリーグ戦を高野連は良しとしていないし、商業主義への警戒も強い。

