【ジャニーズと日本社会:17】テレビに出られない3人──法律を変えた韓国、注意で終わった日本
JYJに起きたこと
JYJとは、東方神起を脱退したジェジュン、ユチョン、ジュンスの3人が結成したK-POPグループです。
2009年7月、3人は韓国でSMエンタテインメントを相手取り、専属契約の効力停止を求める仮処分を申し立てます。問題にされたのは、その契約期間でした。兵役の期間などを除いても13年に及ぶもので、事実上の終身契約と変わりません。過密なスケジュールによる疲労の蓄積や、プロダクション側に極端に偏った不透明な収益分配も争点になりました。
同年10月、裁判所は仮処分を認めます。13年という専属期間は芸能人の職業選択や活動の自由を根底から制限する無効水準の契約であり、メンバーの独自の活動を保障せよという判断でした。そして翌2010年、3人はJYJとして活動を始めます。
しかし、そこから圧力がかかります。最初のアルバムが30万枚近く売れる反応を得ながら、地上波の音楽番組にもバラエティ番組にも、一度たりとも出演できなかったのです。ドラマや映画には出られるのに、テレビの歌番組にだけは立てない。
2011年には、SMがJYJの活動を妨害した場合、違反1回につき2000万ウォンの罰金が生じるという命令も下ります。それでも状況は変わりませんでした。
後に公正取引委員会の調査で明らかになったのは、かなり露骨な構図でした。SMと業界団体である韓国大衆文化芸術産業総連合(文産連)が共謀し、地上波3社を含む26の放送社と音盤・音源の流通会社に対して、JYJの出演や交渉、音盤の流通を自制するよう求めるよう文書を送っていたのです。そこには未確認の一方的な主張と、「韓流の後退」という刺激的な警告が並んでいました。2013年7月、公取委はこれを正当な事業活動の妨害と認定し、是正命令を出します。つまり、圧力は証拠として残っていました。
しかし、それでも扉は開きませんでした。2012年11月には双方が訴訟をすべて取り下げ、契約関係の終了で合意しています。当事者間の紛争は終わり、当局の命令も出たのです。それでもJYJは地上波の歌番組に出られませんでした。番組に出られないため放送点数は0点で処理され、音盤の点数だけでチャートの1位候補に上がるという状態が続きます。
そこで業を煮やした韓国の国会が動きます。2015年11月30日、放送法の改正案が満場一致で可決されました。第三者の圧力によって放送局が特定の人物の出演を取りやめることを禁じ、違反には罰金を科す。これが通称“JYJ法”です。
ただし、法律ができてただちに解決したわけでもありませんでした。法改正から1カ月半後の2016年1月14日、KBSで放送された『ソウル歌謡大賞』で、メンバーのひとりであるジュンスは一般投票で46.7%の得票を集めて人気賞の1位となりました。しかし、彼はその番組に出演できませんでした。日本でSMAP騒動が起きる前の週のことです。
JYJはその後、メンバーの兵役もあってグループとしての活動が止まり、2010年代の終わりには実質的な解散状態となりました。いまはそれぞれ個人で活動しています。
また、2011年にはKARAのメンバーが所属事務所との専属契約をめぐって対立する騒動も起きています。日本で大活躍中だったこともあって、それはとても注目されました(が、その最中に起きた東日本大震災によって、このトラブルはかなり忘れられたところもあります)。
この話には、つい数字前に動きがありました。
2026年8月21日、キム・ジェジュンがKBS『ミュージックバンク』のステージに立ちました。東方神起のメンバーとして出演した2008年12月以来、18年ぶりのことです。2024年にSBS『人気歌謡』で16年ぶりの地上波復帰を果たしたのに続くものでした。
制度は速く動いても、現場の慣行はそう簡単には変わらないということです。しかし、なんにせよ韓国では即時に法改正などで対応しています。ここが日本との分かれ目になります。
ちょうど10年の差
韓国は、どんなことにおいても社会の対応が速いです。何か起きればすぐに手を入れ、うまくいかなければまた手を入れます。慎重で時間のかかる日本社会とは対照的です。
韓国芸能界で早かったのは、専属契約の期間を当局が明確に定めたことです。2009年7月、韓国の公正取引委員会は芸能人と芸能プロダクションの専属契約について標準契約書を策定し、契約期間の上限を7年と定めました。それまで「奴隷契約」とも揶揄されていた長期契約にメスを入れたのです。K-POPのグループが結成から7年目に解散や再契約を迎える「7年の壁」はここから来ています。
では、日本はどうか。
SMAPの解散騒動が2016年1月。公正取引委員会がジャニーズ事務所に注意を行ったのは、2019年7月17日でした。これは、元SMAPの3人の民放テレビの出演をめぐる件で、ジャニー喜多川氏が亡くなった9日後のことでした(このタイミングは偶然でもありますが、ジャニー氏が倒れたことで発表を先送りにしていたので必然とも言えます)。
