【ジャニーズと日本社会:14】1月18日、ふたつの証言──鈴木おさむと藤島ジュリー景子の視点

あの生放送の謝罪は、いつ、誰が、どのように組み立てたのか。放送作家・鈴木おさむと、事務所側にいた藤島ジュリー景子。のちにふたりが明かした証言を突き合わせると、あの夜の事実関係が見えてきます。
松谷創一郎 2026.07.27
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二つの当事者証言

 2016年当時、あの夜の内側を語る者はほとんどいませんでした。しかし後年、ふたつの重要な証言が出てきます。

 ひとつは、放送作家の鈴木おさむさんが書いた小説『20160118』。小説の形式をとっていますが、実質的には当日の現場を鈴木さんの視点から描いた回想です。2022年12月に『文藝春秋』誌で発表され(ジャニーズ事務所が崩壊する前年)、2024年に出版された書籍『もう明日が待っている』(文藝春秋)に収録されています。

 もうひとつは、藤島ジュリー景子さんが作家の早見和真さんからインタビューを受ける形式の『ラストインタビュー―藤島ジュリー景子との47時間―』(新潮社)です。昨年7月に刊行されました。

 鈴木さんはあの公開謝罪の現場におり、それをきわめて不本意なものとして描いています。一方のジュリーさんは当日は現場にはいたものの、主導権はメリー喜多川副社長とジャニー喜多川社長にあり、自分は蚊帳の外だったという立場です。

 こうした異なる立場のふたりの証言を突き合わせると、あの夜の状況がある程度立体化します。

前夜の稽古場

 動きは、放送の前夜から始まっていました。以下は、藤島ジュリー氏の『ラストインタビュー』をもとにした事実関係です。

 1月17日の23時ごろ、渋谷のジャニーズ事務所の稽古場に関係者が集められます。SMAPの5人、ジャニー喜多川氏、藤島ジュリー景子氏、取締役の白波瀬傑氏と小杉理宇造氏、そして事務所の社員数名。少し遅れて、メリー副社長も合流したとされています。

 ジュリーさんによれば、ジャニー氏と顔を合わせたのは7、8年ぶりで、会議の雰囲気はお通夜のようだったといいます。事前にチーフマネージャーの飯島三智さんと5人で話し合ってSMAPの存続は決まっており、そのときに解散かどうかの話は出なかったとのこと。

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