【ジャニーズと日本社会:3】「告発本」ではなく「暴露本」だった北公次『光GENJIへ』

1988年11月、フォーリーブス元メンバー・北公次による『光GENJIへ』が出版される。35万部のベストセラーとなりながら、新聞・テレビは完全に黙殺。本書はそもそも何を語っていたのか。
松谷創一郎 2026.05.11
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北公次のベストセラー

 1988年11月、データハウスから1冊の本が出ます。タイトルは『光GENJIへ』。著者は、1970年代に人気を博したフォーリーブスの元メンバー・北公次さんでした。

 フォーリーブスは、1968年にデビューした4人組で、ジャニーズ事務所で初めて大ヒットしたグループです。1970年から1976年まで7年連続で『NHK 紅白歌合戦』にも出場し、1978年に解散しました。

 その中心的な存在であった元メンバーの北公次さんが、所属していたジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長からの性加害を暴露した本書は、35万部のベストセラーとなりました。

 けれども当時、この本は新聞やテレビでは完全に黙殺されました。いま振り返ると信じがたいほどに、主要メディアからの反応がなかったのです。新聞検索でベストセラーランキングにこの本があっても、その内容を紹介したり、後追いで取材するような記事は確認できません。

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 では、そもそもこの本はどのような内容だったのでしょうか。まず内容を確認していきたいと思います。

 先に全体を確認すると、1988年11月から翌年の1989年12月まで約1年の間に6冊の書籍が発表されます。1冊目がベストセラーとなったこともあり、それを受けて次々と続編が発売されました。3冊目と6冊目が編著としてクレジットされているのは、読者からの投書で構成されているからです。

  • 北公次著『光GENJIへ』 (1988年11月/データハウス)

  • 北公次著『光GENJIへ・再び』(1989年2月/同)

  • 北公次編著『光GENJIへ3』(1989年4月/同)

  • 北公次著『光GENJIへ・最後の警告』(1989年6月/同)

  • 北公次著『さらば!!光GENJIへ』(1989年9月/同)

  • 北公次編著『光GENJIファンから北公次へ』(1989年12月/同)

 注目すべきはやはり1冊目の『光GENJIへ』です。その内容は、北氏が自身の半生について語った内容です。

 1949年1月に和歌山県田辺市で生まれ、貧しい家庭で育った北氏は、中学を卒業した1964年に集団就職で名古屋に行きます。この1964年とは、東京オリンピックが開催される年です。しかしすぐに大阪に移り、ジャニーズ事務所がはじめて手掛けたグループ・ジャニーズの存在を知ります。1962年にデビューしたジャニーズは、1965年の大晦日に『NHK 紅白歌合戦』に出場するなど人気がありました。

 北氏が芸能の道を志したのは、このジャニーズに憧れたからでした。

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