【ポピュラー文化の余白:2026-09-18】STARTOと藤島ジュリー氏、『Tシャツが乾くまで』最終回、谷桃子の復活
今週のラインナップ
エビちゃん、今も強い──蛯原友里・マクドナルドCM
『Tシャツが乾くまで』──家族ドラマから抜け出す試み
STARTOと藤島ジュリー氏──問われるべきは資本関係
谷桃子、復活──『ゴッドタン』に8年ぶりに現れた意味不明
『マネーリアリティショー 100万円を隠し持て』──宝探しと人狼の組み合わせ
◇エビちゃん、今も強い──蛯原友里・マクドナルドCM
エビちゃんこと蛯原友里さんが、久しぶりにマクドナルドのCMに出て話題になっています。20年前の「エビフィレオ」CMと同じ音楽で、同じように歩いていく。今回の商品は「プリプリエビプリオ」です。今年47歳ですが、年齢をまったく感じさせません。
蛯原さんについては、『ギャルと不思議ちゃん論』でけっこうなページを割きました。2000年代中期、『日経エンタテインメント!』で雑誌特集を任されたのがきっかけです。当時の『CanCam』は60万部を超える売れ行きでした。
当時、蛯原さんとともに人気だったのが押切もえさんと山田優さんです。押切さんはテレビに、山田さんは俳優業にと仕事を広げていきましたが、蛯原さんはCM以外あまりテレビに出ませんでした。私は押切さんと山田さんには取材と番組でお会いしているのですが、蛯原さんとお会いする機会は結局ないまま今にいたります。会いたかったなー。
当時の『CanCam』は、蛯原さんの「モテ」特集で60万部以上の人気でした。『CanCam』の「モテ」は、男性にモテることではなく、みんなに(全方位的に)愛される人気者になることでした。女性人気が高かったのもそのためです。
一方、同じ赤文字ライバル誌の光文社『JJ』は、これを男性へのアピールと取り違え「お嫁系」などを打ち出します。私はそれを「コビ」と呼びました。
結果、『CanCam』はいまも続いていますが、『JJ』は2020年いっぱいで月刊の定期刊行を終えています。「モテ」の読み違いが命運を分けたわけです。
さて、もともと蛯原さんは九州産業大学の芸術学部で空間デザインを学び、大学卒業後に上京してデビューしています(かなり遅咲き)。当時、九産で空間デザインを学ぶ人がコンサバな服を着ていたとは思えません。実際、本人も『CanCam』卒業号で、コンサバを着るようになったのはモデルになってから、と語っています。
見た目と中身がかなり違う人なのではないか。それを探りたくてインタビューしたかったのです。ただ、あのCMを観て、エビちゃん今も強いなと思いました。
◇『Tシャツが乾くまで』──家族ドラマから抜け出す試み
TBSの金曜ドラマ『Tシャツが乾くまで』が、9月11日に最終回を迎えました。脚本は『silent』(2022年)の生方美久さん。今期のTBSは日曜劇場『VIVANT』の続編が話題を引っ張っていますが、こちらも視聴率は第3話以降ほぼ右肩上がりで、最終回の9.3%が番組最高でした。TVerの再生数でも、金曜ドラマ枠の記録を更新し続けているようです。
始まりはバス事故。瀬尾充(松山ケンイチ)と園田あずさ(夏帆)が同じバスに乗っていて、あずさは亡くなり、充は行方不明になる。残された充の妻・咲子(蒼井優)と、あずさの夫・樹生(中島歩)は、それぞれの配偶者の秘密を追ううちに距離を縮めていきます。ところが実は充は事故前にバスを降りていて、中盤で帰ってきます。ここまでが前半。
序盤はミステリーに見えます。ミステリー好きの私は、充が運転手に薬を飲ませて事故を起こしたのではないか、などと想像していました。が、まったくそういう話ではありませんでした。
そして後半は家族や個人の生き方の話になり、入口と出口でまるで違う印象の作品でした。ただ、それも含めて狙いだったことは、最後まで観てよくわかりました。
興味深かったのは、充とあずさの関係です。2人は第3金曜日にコインランドリーで会っていました。不倫ではなく、なんでも話せる間柄だったのです。距離が近からず遠からず、みたな。
仕事の場でも家庭でもないコインランドリーは、社会学者レイ・オルデンバーグのいうサードプレイスと言えます。お互いをよく知らないからこそいろいろ話せる。ゆるいからこそ、独自の信頼が生まれる。近くも遠くもない、「名前のない関係」(最終話の表題)です。私にも、店員さんの名前は知らないけれど、みんな顔見知りというカフェがあります。そうした場所をコインランドリーにしたのは、とてもうまいと思いました。
全体では、あずさが児童養護施設で育ったこと、充に失踪癖があること、咲子に離婚歴が4回あることが明らかになります。それぞれが特有の家族体験を持っています。
家族とは何か──この問いは、小津安二郎から山田太一、向田邦子、坂元裕二、宮藤官九郎まで、日本のドラマや映画がずっと描き続けてきたテーマです。家族がいかに壊れ、どう再構築されるか。家族という強い社会装置に、批評的にどうアプローチするかが続けられてきたのです。
一方、欧米ではかなり早い段階で、家族や個人の多様性が描かれていました。アメリカなら『クレイマー、クレイマー』(1979年)、イギリスならマイク・リーの作品群等々。フランスは1999年に結婚と同棲の中間にあたる連帯市民協約(PACS)を設け、2013年には同性婚も認めています。
最終回で咲子は「家族、やめよう」と告げ、5回目の離婚を選びます。家族を持たず、しかし多様な関係のなかで生きていく。後期近代的な、都市的な生き方です。社会が成熟すると、ひとりでもやっていけるようになります。この作品は、家族だけでなく、個人の生き方の自由度を描いたのだと私は捉えています。
ただ欧米から見れば、これは20~30年前から描かれてきたことです。そのため、正直に書けば私は中盤から後半が退屈でした。日本の地上波では、これが限界なのだろうと思います。
前半のミステリー仕立てに惹かれた人からは、期待を裏切られたと酷評する声も出ていました。裏切りは織り込み済みだったはずですが、であれば冒頭にあれほどドラスティックなバス事故やミステリー展開が必要だったのか、とも思います。
制作人の目標は、すっきりしない話を、すっきりしないまま着地させることだったと思います。しかし、その挑戦がどこまでうまくいったのかはわかりません。
もっとも地上波のドラマは、配信サービスに加入してまでドラマを観ない層にも届きます。いまの日本では、これくらいがちょうどいいのかもしれません。坂元裕二がNetflixに活動の場を移し、地上波で家族ものがあまり描かれなくなったなかで、生方美久がこうした挑戦をしたわけです。プライムタイムの地上波ドラマとして創られ、数字と評判をともなったことを考えれば、それなりの成果があった作品だと言えるのではないでしょうか。
◇STARTOと藤島ジュリー氏──問われるべきは資本関係
今月7日、朝日新聞が、旧ジャニーズ事務所の元スタッフによる性加害を報じました。ジャニーズJr.の送迎などを担当していた男性で、その被害者が補償の対象になっていないことが問題になっています。17日付の朝日新聞の社説でも、この件が取り上げられました。以下の記事がそれです。
一方、16日には『週刊文春』電子版が、藤島ジュリー景子氏がSTARTO ENTERTAINMENTの経営に実質的に関与していると報じました。有料記事なので詳細は書きませんが、ポイントは2つあります。

