【ジャニーズと日本社会:25】「写してもらいたくない」──1965年、週刊誌から消えた顔
後ろ向きの写真
当初、ジャニーズ(グループ)は名和太郎が代表を務める新芸能学院に所属していました。名和の妻とメリー喜多川が旧知の間柄だったことから、4人はこの学院でレッスンを受け、泊まりこむこともありました。
しかし1964年6月、この学院でトラブルが起きます。学院の生徒が、ジャニー喜多川からわいせつな行為を受けたと訴えたのです。名和の日記では6月12日のこととされています(※1)。
この訴えを受けて、いったんはジャニー喜多川が手を引くことで話がまとまります。ところが7月の父兄会では一転して名和が手を引くよう求められ、ジャニーズはメリー喜多川とともに渡辺プロダクションに移りました。
このトラブルを最初に報じたのは、集英社の『週刊明星』1964年9月27日号でした。見出しは「ジャニーズはどうなる!? 告訴沙汰と関係者のいい分」。
記事によれば、名和は7月29日付でジャニー喜多川に催告書(内容証明郵便)を送り、授業料や宿泊費、スタジオ使用料など約370万円の支払いを求めました。
注目したいのは、この記事にはジャニー喜多川による性加害についていっさい出てこないことです。あくまでも金銭と移籍のトラブルとして書かれています。
そして写真。名和夫妻とメリー喜多川は、顔のわかる写真が載っています。ところがジャニー喜多川は、テレビ局のスタジオで4人と話している背中しか写っていません。キャプションには「(後向き)」とあります。