【ジャニーズと日本社会:24】「育ての親ジャニー喜多川さん」──1964年、少女雑誌に載っていた「顔」

晩年まで「御真影」以外の顔を出さなかったジャニー喜多川は、1964年には少女雑誌に幾度も顔写真つきで登場していました。小学館の『女学生の友』に載った3枚を見ていきます。
松谷創一郎 2026.10.13
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雑誌『女学生の友』

 『女学生の友』は、1950年4月に小学館が創刊した月刊誌です。中学や高校の女子学生を対象とした雑誌で、小学館の学年誌の延長にあるような存在でした。この時期の誌面には、芸能人の記事も多く見られます。後に小学館で生まれるファッション誌『プチseven』の前身でもあります。

 第21回で扱った『少年倶楽部』は、戦前の少年たちが読んでいた雑誌でした。こちらは、戦後の少女たちが読んでいた雑誌です。

 1964年は、グループのジャニーズの人気が高まっていった年です。メンバーは真家ひろみ、飯野おさみ、中谷良、あおい輝彦の4人。この年の暮れにはレコードデビューもします。

 ジャニーズ事務所は1962年に創業したとされています。ただ実態は、ジャニー喜多川が身近にいた少年たちを集めてグループを結成し、芸能界に入っていったというもの。

 そして当時の彼は、「マネージャー」あるいは「育ての親」として、雑誌に姿を見せていました。1964年とは、東京オリンピックに向けて日本が高度経済成長を邁進している頃のことです。

1964年4月号──「育ての親」

 (幼少期等は除く)ジャニー喜多川の顔写真が載っているもので、私が確認できた範囲でもっとも古いのは、『女学生の友』1964年4月号です。

『女学生の友』1964年4月号(小学館)、pp.66-67

『女学生の友』1964年4月号(小学館)、pp.66-67

 キャプションには「育ての親ジャニー喜多川さん。」。ネクタイを締めており、髪をきれいに整えています。このとき32歳です。

 記事は「チャキリスなんかに負けるもんか!:野球チームから生まれたジャニーズ」という4ページのもので、ジャニーズを紹介するなかで彼のことも載っています。野球チームの少年たちを芸能界に連れてきた人物として扱われており、1961年12月23日に日本公開された『ウエスト・サイド物語』に影響されてグループを作ったエピソードが触れられています。

 記事名にある「チャキリス」とは、俳優のジョージ・チャキリスのこと。『ウエスト・サイド物語』でプエルトリコ系の不良グループ・シャーク団のリーダーを演じ、アカデミー最優秀助演男優賞とゴールデングローブ賞最優秀助演男優賞を受賞しています。

 この時点のジャニーズは、東京・池袋にあった新芸能学院に所属していました。記事でも、稽古場は池袋の「芸研ジャニーズ」だったと書かれています。

1964年11月号──グラビアの中心に

 ジャニー喜多川がふたたび雑誌に登場するのは、同じく『少女の友』の11月号でした。東京オリンピックが始まった前後に発売されたと考えられます。こちらはモノクロのグラビアで、1ページを使っています。

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