【増補】不良少年とヤンキーマンガ──ヤンキー史概説

現実の不良少年は減り続けている。にもかかわらず『東京卍リベンジャーズ』は大ヒットし、Netflixの『ラヴ上等』はアジアでもヒットしている。ヤンキーはどこへ行ったのか。12年前の記事に増補を加えて再掲する。
松谷創一郎 2026.08.19
サポートメンバー限定

 近年、アニメ・映画化もされたヤンキーSFマンガ『東京リベンジャーズ』が大ヒットした。また昨年末には、Netflixの恋愛リアリティ番組『ラヴ上等』も大ヒットした。現実世界では希少な存在でもあるヤンキーは、いまだにメディアの世界では大人気だ。

 では、現実とヤンキー表象はどのような関係にあるのか? 12年前に寄稿した記事を前後編に分けて再掲する。最後には約4500字の増補を追加している(初出:稲田豊史編『ヤンキーマンガガイドブック(文化系のためのヤンキーマンガ入門)』2014年/DU BOOKS)。

1970年代:ヤンキー黎明期

 パトカーのサイレンが鳴り響くなか、警官隊と暴走族が深夜の路上で対峙していた。少年たちは重装備の大人たちに罵声を浴びせ、その挑発に応じたひとりが少年に「名前はなんていうんだ?」と詰め寄る。すると、少年はこう言い放った。

「うるせーな!! 戸川万吉だよ、このヤロー!」

 これは、1976年に公開された柳町光男監督のドキュメンタリー映画『ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR』の冒頭部分である。

 戸川万吉とは、もちろん少年の本名ではない。1968年から1973年にかけて『週刊少年ジャンプ』で連載された本宮ひろ志のマンガ『男一匹ガキ大将』の主人公のことだ。

 「ヤンキー」という言葉は、この1970年代に一般化したものである。もちろん、それまでにも不良少年(あるいは非行少年)は存在したが、それに独特の呼称がついたのだ。

 その語源はハッキリとしないが、ヒントとなったのはアメリカ兵の遊び着のスタイルだったという。渋谷や新宿のディスコで遊ぶ若者たちが、それを模倣してVANやジ・アザーの洋服を着て目立ち始めたのだった(難波功士『族の系譜学──ユース・サブカルチャーズの戦後史』)。

 ただし、そうした当初のヤンキーのイメージと、その後のイメージは大きく異なる。1970年代中期以降は、概ね暴走族を中心とした不良たちがヤンキーと見なされてきたからだ。

増え続けた暴走族

 このとき確認する必要があるのは、1970年代中期の社会状況である。「政治の季節」と呼ばれた時代は終わり、オイルショックが起こり、マンガや音楽などのポップカルチャーがますます隆盛していった頃のことだ。

 当時の若者を取り巻く環境として、まず押さえる必要があるのは学校の状況についてである。1975年に高校進学率は90%を超え、ほとんどの生徒は義務教育以降も学校に通うこととなった。「受験戦争」という言葉が一般化し始めたのもこの頃からだ。しかし、その一方で激化していったのは教師に対する校内暴力であった。校則や受験の抑圧に不良少年たちは対抗した。彼らが「ツッパリ」と呼ばれたのも、その態度や行為が反体制的なものだったからだ。

 もうひとつが、暴走族の増加である(図1参照)。1970年代以前も「カミナリ族」などと呼ばれて存在していた暴走族は、1970年代に入って強く社会問題視されるようになる。1978年には暴走族の摘発を見込んで道路交通法が改正されるほどであった。

この記事はサポートメンバー限定です

続きは、8326文字あります。

下記からメールアドレスを入力し、サポートメンバー登録することで読むことができます

登録する

すでに登録された方はこちら

読者限定
【Column】それは本当に伝統なのか──だんじりと土俵と「現状維持」...
サポートメンバー限定
【ジャニーズと日本社会:24】「育ての親ジャニー喜多川さん」──196...
読者限定
【ポピュラー文化の余白:2026-10-09】HBO MaxのHulu...
読者限定
ゲームは「ゲーム」でなくてもよかった:1──広島で会ったジョン・ラセタ...
読者限定
【ジャニーズと日本社会:23】野球帽とサングラス──ジャニー喜多川の「...
読者限定
【ポピュラー文化の余白:2026-10-02】BLACKPINK・4人...
読者限定
【Column】30年通っても好きになれない国会図書館の話──日本の中...
読者限定
【ジャニーズと日本社会:22】「小松先生の『一太郎物語』を愛讀してゐま...