【ジャニーズと日本社会:15】ジャニーズが読み違えたもの──スマホとSNSが浸透した年に
ここまで、2016年のSMAP解散騒動を報道と証言からたどってきました。今回は視点を変えて、私自身の話を書きます。なぜ私はあのとき踏み込めたのか。動機と、いくつかの読みと、当時のメディア環境について。
松谷創一郎
2026.08.03
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前回まで、2016年1月のSMAP解散騒動を、外側から見てきました。今回は一人称の話をします。あの1月18日の夜、私はなぜあそこまで入念に準備をして記事を出したのか。そこには、それまで誰にも見せたことのなかった思いがありました。
ずっと感じていたこと
前にも書いたように、私はもともとジャニーズ事務所を意識的に避けていました。ただ、ジャニーズが競合他社に圧力をかけ、芸能界に君臨していること自体にはずっと問題を感じていました。
私が芸能界の問題を考えるときの一貫した基準があります。
作品です。
映画でも音楽でもドラマでも、作品がすべての基準です。
しかし作品の良し悪しではなく、芸能プロダクションの政治的な力学やビジネスモデルだけで物事が処理されていく光景をしばしば目の当たりにしていました。90年代後半からエンタテインメントについての仕事をしながら、日本のポピュラー文化がそうやって毀損されていく状況に強く疑問を感じていたのです。
私がジャニーズ事務所やAKB商法(AKB48に対してではない)を批判してきたのは、作品が大切にされなくなっていることへの強い危惧からです。そしてこの基準はいまでも変わっていません。
昨年、非公開のあるレポートを書いたときには、以下のような一文を加えました。