【ジャニーズと日本社会:8】『ザ・ベストテン』の終焉と、ジャニーズの命を繋いだ『Mステ』

歌謡曲からJ-POPへ──「大衆」が機能しなくなる時代、ランキング型の音楽番組は次々と姿を消した。そんななか、テレビ朝日『ミュージックステーション』はティーンとジャニーズに賭けることで生き残る。
松谷創一郎 2026.06.14
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 前回は、CDの普及と「分衆」の時代についてお話ししました。そのなかで音楽番組『ミュージックステーション』(以下『Mステ』)が1986年10月に始まり、タモリさんが司会になった1987年4月から性格を変えていったことにも触れました。今回は、この番組の立ち位置をもう少し掘り下げてみたいと思います。

ランキング番組の終焉

 1980年代にもっとも人気のあった歌番組は、TBSの『ザ・ベストテン』でした。1978年に始まったこの番組は、その名の通りランキング形式です。レコードの売上だけでなく、放送でのリクエストやハガキの投票などを組み合わせて上位10曲を決めていました。オリコンの売上ランキングとは異なる独自の指標だったわけです。

 司会は黒柳徹子さんと久米宏さん。生放送が多く、新幹線のホームや空港から中継でつなぐなど、そのライブ感も魅力のひとつでした。ランキングに入らない注目を紹介する「今週のスポットライト」というコーナーもありました。一方で、ランキング入りしてもテレビにいっさい出ない歌手もいました。

 しかしこの番組は、1988年秋ごろから急速に視聴率を落としていきます。やがて10%を割り、1989年9月に幕を閉じました。日本テレビの『歌のトップテン』も1990年3月に、フジテレビの『夜のヒットスタジオ』もジャンルごとに枝分かれを重ねた末に1990年に終わります。

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