【ジャニーズと日本社会:20】懐柔されたジャニーズ──K-POP日本進出の裏側

模倣しただけではなく、SMエンタテインメントは、ジャニーズ事務所と取引をしていました。その関係は、2026年のいまにまでつながっています。
松谷創一郎 2026.09.14
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失敗した日本デビュー

 1998年10月21日、SMエンタテインメント所属の女性3人組・S.E.S.が「めぐりあう世界」で日本デビューをしました。韓国で大ヒットしていた女性グループを、そのまま日本に持ってきました。

 1998年は、日本の音楽産業にとっても最盛期といえる年です。売上は6000億円を超え、この年にMISIA、宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみなど、女性アーティストが立て続けにデビューします。S.E.S.も同じ年だったのです。

 デビュー曲「めぐりあう世界」は日本語詞であるなど、ローカライズもできていました。レーベルはVap(日テレ傘下)でしたが、2000年5月にエイベックスへ移籍します。

 音楽的には、ミドルテンポのR&Bのナンバーです。作詞・作曲・編曲を手掛けたのは、その年の1月にデビューしたMISIAのデビュー曲「つつみ込むように…」を手掛けた島野聡でした。傾向として近い曲であることは聴けばわかります。

 メンバーのひとりであるシュー(現在:ユ・スヨン)は、横浜育ちの在日コリアンで日本語がネイティブでした。シューという芸名は、彼女の日本における通名である国光洙(くにみつしゅう)から取ったものです。彼女がいることもあり、もともと言語の壁は小さかったのです。

 それでも、日本での結果は不本意なものに終わります。競争が激しい時期ではありましたが、活況の波に上手く乗れなかったのも確かです。

 しかしここで注目したいのは、SMエンタがこの時期に日本市場で何をしていたかです。

V6のシングルに参加する

 2002年6月12日、V6が「Feel your breeze/one」という両A面のシングルを発売します。この「one」は、「V6 feat. Shoo」名義の楽曲でした。S.E.S.のシューが、ジャニーズのグループのシングルに参加しているわけです。

 シューはこの前年の2001年10~11月に、井ノ原快彦とミュージカル『東亜悲恋』(フジテレビ/カンテレ製作)で共演をしていました。この作品は、ソウルを訪れたスポーツライター(井ノ原)が、現地で出会った通訳(シュー)に、在日韓国人である親友の妹の姿を重ねて惹かれていく物語でした。

 この舞台はとても好評で、駐日韓国文化院長から再演の打診があり、2002年6~7月には東京をはじめソウルでも上演されることにもなります。ちょうどFIFA・日韓ワールドカップが開催されているときでした。「V6 feat. Shoo」名義の「one」も、このタイミングでリリースされています。

 舞台共演や日韓W杯という特別な時期ではありましたが、ジャニーズのグループが同世代の女性アイドルと音楽で共演するのは極めて稀なケースです。そもそもジャニーズは、他社のアーティストとの共演にも慎重でした。

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