【ジャニーズと日本社会:22】「小松先生の『一太郎物語』を愛讀してゐます」──ジャニー喜多川、10歳の投書
前回は、戦時下の『少年倶楽部』とその投書欄について書きました。1942年10月号の「友誌」欄に載った投書のうちのひとつがこれです。
◇考へる力を養ふ讀物
和歌山縣 喜多川 擴
記者先生、僕は、いつも小松先生の『一太郎物語』を愛讀してゐます。
この物語は、僕たちの氣づかぬ日常のことがらの中に、いかに科學の問題が、ひそんでゐるかを敎へてくれます。
僕の家は、海邊に近い村にありますから、九月號の『冷たい火』の夜光虫の實驗をしてみようと思つてゐます。

『少年倶楽部』1942年10月号、p.190
10歳の喜多川擴
「擴」は「ひろむ」と読みます。ジャニー喜多川の日本名は喜多川擴で、英語名はジョン・擴・喜多川です。
もちろん、和歌山県に同姓同名の少年が別にいた可能性はゼロではありません。ただ、後で触れるように当時の彼は和歌山県の海辺で暮らしていました。本人と見てまず間違いないでしょう。
月刊誌の10月号は9月末には書店に並びますから、この投書が書かれたのは1942年の8~9月上旬ごろだと考えられます。1931年10月23日生まれの彼は、このとき国民学校の5年生。11歳の誕生日を迎える数か月前でした。
投書はわずか3文です。末尾には「記者」からの返答があり、自然のなかには尊い知識と教訓が含まれていること、国民学校で観察指導に力を入れているのもそのためであることが書かれています。
前回紹介したほかの2本は、航空機工場で働く誇りと、協同の尊さを語るものでした。それに比べると、喜多川少年の投書は戦争の話がまったく出てこない、素朴な科学好きの子どもの文章です。
小松龍之介の正体
投書にある「小松先生の『一太郎物語』」とは、1942年1月号から『少年倶楽部』で連載されていた小松龍之介の小説『智恵の一太郎』のことです。科学に関心の強い小学6年生の明石一太郎が、身のまわりの謎を解いていく読み物です。